お寺の本堂に上がると、奥の暗がりに大きな像が座っていることがあります。
ぼんやりと光に包まれていて、姿は穏やかで、手の形がそれぞれ少し違う。「これは誰なんだろう」と思ったまま、答えがわからないまま外に出る——そういう経験は、たぶん多くの人にあるはずです。
このページは、お寺で出会う「仏様」の世界を、難しい言葉を使わずに整理するための入口です。神社で会う神様と並ぶ、もうひとつの世界がある、というところからゆっくり始めます。
仏様と神様は、別の世界の話
日本では仏様と神様が長く同じ景色に共存してきたので、混同しやすいですが、まずは大きく分けて考えると入りやすいです。
- 神様(kami) は神道の存在で、神社で祀られる
- 仏様 は仏教の存在で、お寺で祀られる
神道は日本で生まれた信仰で、自然や祖先の存在を「神」と呼んできました。 仏教はインドで生まれ、中国・朝鮮半島を経由して 6 世紀ごろに日本に伝わった信仰で、覚り(さとり)を中心に据えた体系を持ちます。
このシリーズは、その仏教の側で出会う存在を、ひとりずつ紹介していきます。
仏様の世界には、ゆるやかな階層がある
「仏様」と一言で言っても、お寺の像はみな同じではありません。仏教の世界では、おおまかに四つの層に分けられて伝えられてきました。
ここでは厳密な教義ではなく、お寺で像を見るときの「読み方」として整理します。
1. 如来(にょらい)
覚りを完全に開いた存在。仏様の中で最も中心に置かれます。
代表的な如来:
- 釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)
- 阿弥陀如来(あみだにょらい)
- 大日如来(だいにちにょらい)
- 薬師如来(やくしにょらい)
像の特徴は、装飾が少なく簡素なこと。覚りを開いた後の姿として、王宮の飾りを脱いだ姿で表されることが多いです。手の形(印相)にそれぞれ意味があり、釈迦如来の説法印、阿弥陀如来の来迎印など、像によって違います。
2. 菩薩(ぼさつ)
覚りに向かいつつ、人々を救う働きを担う存在。如来の一歩手前、と表現されることもありますが、人々の暮らしに最も近いところで姿を現します。
代表的な菩薩:
- 観音菩薩(かんのんぼさつ)
- 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
- 弥勒菩薩(みろくぼさつ)
- 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
- 普賢菩薩(ふげんぼさつ)
像の特徴は、装飾が華やかなこと。冠、瓔珞(ようらく)、天衣など、王子の姿を残しています。
地蔵菩薩だけは例外で、僧の姿で描かれることが多く、お寺の境内や路傍で、誰よりも親しまれている仏様です。
3. 明王(みょうおう)
忿怒(ふんぬ)の表情で、迷いや煩悩を断ち切る働きをする存在。怒っているように見えますが、その怒りは人々の迷いを断つための姿だと伝えられています。
代表的な明王:
- 不動明王(ふどうみょうおう)
- 愛染明王(あいぜんみょうおう)
- 孔雀明王(くじゃくみょうおう)
像の特徴は、炎を背負い、剣や羂索(けんさく)を持つ激しい姿。真言宗・天台宗の密教系のお寺で特によく見られます。
4. 天部(てんぶ)
仏法を守る神々。もともとインドのヒンドゥー教の神々が仏教に取り込まれた存在で、戦いや音楽、商売、福徳など、世俗的な働きを多く担います。
代表的な天部:
- 毘沙門天(びしゃもんてん)
- 弁財天(べんざいてん)
- 大黒天(だいこくてん)
- 帝釈天(たいしゃくてん)
- 梵天(ぼんてん)
七福神に含まれる仏様の多くがこの層に属します。日本では、神道の神々と区別がつかなくなることもしばしばあります。
階層を超える存在もいる
四つの層に収まらない仏様や、層を行き来する存在もいます。
- 達磨大師(だるまだいし) — 禅宗の祖。歴史上の人物だが、信仰の対象として像が祀られている
- 閻魔大王(えんまだいおう) — 地獄の王、地蔵菩薩と深い関係を持つとされる
- 大師信仰 — 弘法大師(空海)など、実在の高僧を仏様に近いかたちで信仰する伝統
仏教は長い時間をかけて、各地の風土・民俗と結びつきながら姿を変えてきました。だから、お寺で出会う像の中には、こうした「層に収まらない存在」もたくさんいます。
このシリーズで会う 12 体
「お寺で会う仏様」シリーズでは、日本のお寺で実際に出会う頻度の高い仏様を一体ずつ紹介していきます。
- 釈迦牟尼如来(禅宗の本尊、總持寺など)
- 阿弥陀如来(浄土宗の本尊、平等院)
- 大日如来(真言宗の本尊、高野山)
- 薬師如来(薬師寺)
- 観音菩薩(清水寺、浅草寺)
- 地蔵菩薩(路傍、化野念仏寺)
- 弥勒菩薩(広隆寺)
- 文殊菩薩(智恩寺)
- 不動明王(成田山、目黒不動)
- 愛染明王(西大寺愛染堂)
- 毘沙門天(鞍馬寺、信貴山)
- 達磨大師(禅宗の祖、福だるま)
それぞれの仏様には、それぞれの働きと、それぞれの姿があります。 お寺で像を見たとき、「この仏様はどんな働きをしているのか」が少し読めるようになると、本堂の奥が、もう少し近く感じられるようになります。
お寺に行く前に
仏様の名前や働きを知らなくても、お寺を訪れることはできます。手を合わせるのに、知識は前提ではありません。
ただ、目の前の像の手の形や持っているものに少しだけ意味が見えるようになると、その仏様が「何のためにそこにいる」のかが、すこし違って感じられるかもしれません。
参拝のしかたについては、神社向けの記事ですが 神社の参り方 を合わせて読むと、神社とお寺の作法のちがいの輪郭が見えます。
このシリーズが、お寺の本堂の奥が、もう少し近く感じられるようになる入口になれば、と思っています。