Ueda Castle framed by cherry blossoms

長野を訪れる旅行者のほとんどは、松本城か、地獄谷野猿公苑か、スキー場を目当てにしてきます。松本から東に一時間、長野市から南西に一時間の上田は、候補リストに上がることがほとんどありません。

これは少し不思議なことで、上田にはこの地域でも際立った歴史があります。圧倒的な兵力差を相手に二度の攻城戦を退けた城もあります。

城と、それを守った男

上田城は1583年、真田昌幸によって築かれました。昌幸は、守れないと思われた状況で守り抜く能力で名を残した武将です。

1585年、当時東日本で最も強力な大名だった徳川家康は、城を落とすために七千から八千の兵を送り込みました。真田の守備兵は約二千。攻城は失敗し、徳川軍は退きました。

1600年、関ヶ原の合戦に先立つ混乱の中、徳川は再び軍を送ります。今度は三万八千とも言われる大軍でした。それでも城は持ちこたえました。真田昌幸と息子の幸村は数週間にわたって包囲軍を翻弄し、決定的な合戦が別の場所で行われているあいだ、相当数の徳川軍を上田に釘付けにしました。

徳川はやがて戦に勝ち、上田の武将たちは流罪になりました。しかし城の記録は残りました。日本最大の軍勢に二度囲まれ、一度も落ちなかった城です。

真田幸村が伝説になるまで

真田幸村は、1600年の上田の戦い、そして1615年の大坂の役で亡くなるまで、ほぼすべての戦で敗れ続けました。最後まで負けが決まった戦いの中にいました。

彼が伝説になったのは、その抵抗の質によるものです。大坂では徳川方の軍勢を突き破り、家康本人にあと一歩まで迫ったとも言われています。後の時代に彼に贈られた言葉は、おおよそ「日本一の武将」という意味です。勝ったからではなく、戦い方によって、死後に人々が与えた称号です。

真田家の赤い鎧と六文銭の家紋は、今日の上田のあちこちに見られます。道路標識、飲食店のロゴ、祭りの飾り、城近くの土産物店に至るまで。

現在の城跡

主要な天守閣は徳川による統治が固まった後に解体され、現在残っているのは三棟の隅櫓と城壁の一部で、二十世紀初頭に元の石垣の上に再建されたものです。再建の規模は松本の黒い天守閣と比べると控えめですが、敷地そのものには元の雰囲気が多く残っています。土塁、堀、守りやすいように設計された壁の角度。

境内には小さな神社があります。真田神社(真田氏を祀る)と、地元の甲冑、武器、文書を展示する博物館です。博物館の説明文は日本語ですが、実物の品々は言葉がなくても十分に語りかけてきます。

城下の町並み

上田の古い町並みである柳町は、かつて城への主要な道だった通り沿いに続いています。いくつかの伝統的な建物が残っています。酒蔵、古い商家、蔵を改装した工芸品店。観光地としての基準で見れば静かな通りですが、それがここのよさでもあります。

ここには生活感があります。人々が暮らし、地元の人向けの店があり、見せるために整えられた通りではありません。歴史が日常の隣にある。

アクセス

上田は北陸新幹線の停車駅です。東京から約七十五分、金沢から約九十分で着きます。東京と日本アルプスを結ぶルートの途中に立ち寄るのにも、長野市からの日帰り旅行にも向いています。

上田駅から城跡まで徒歩十分ほど。柳町はさらに数分先です。主な場所を回るだけなら数時間あれば十分ですが、一日かけてゆっくり歩けば、路地の奥まで見えてきます。

次の目的地を急いでいない旅行者に、上田は応えてくれる場所です。