「八幡」と書かれた鳥居の額を、たぶん一度は見たことがあるはずです。
八幡神社は、稲荷神社と並んで、日本でもっとも数の多い神社のひとつです。全国に四万社以上あるとも言われています。鎌倉の鶴岡八幡宮のような大きな神社もあれば、町中の小さな八幡様もあります。
そこに祀られているのが、ハチマン(八幡神)です。
どんな神様か
ハチマンは、男神として祀られている神様です。
司るとされてきたものは、武運、勝負、国の守り、そして子供や家族の守り。「武の神」というイメージが先に立ちますが、実際の信仰では、安産や子育ての神様としても古くから親しまれてきました。
宇佐神宮(大分)を本宮として、奈良時代(710〜794年)以降、各地に広がっていきました。鎌倉時代(1185〜1333年)には源氏が氏神として祀ったことで、武家の世界とも深く結びつきます。
ただし、ハチマンの信仰の歴史は、武の文脈だけで語ると一面的になります。地域の神社では、お祭りや子供の七五三、家の安全祈願に来る人のための神様、というほうが実感に近いことも多いです。
応神天皇との結びつき
ハチマンの面白いところは、神話の中の出自と、信仰の中での姿が、少し違うところです。
平安時代(794〜1185年)以降の信仰の中で、ハチマンは**応神天皇(おうじんてんのう)**と同じ存在として祀られるようになりました。古事記や日本書紀の中で、神功皇后が朝鮮半島に渡る物語の中で生まれてくる、その子の名前です。
ただし、これは古事記の中に直接「ハチマン」という名前で登場する物語があるわけではありません。後の時代に、信仰と古い物語が結びついて、ハチマン=応神天皇という形が広がっていった、という経緯です。
ハチマンを語るときには、
- 古事記・日本書紀の中の応神天皇の物語
- 宇佐から広がった八幡信仰そのもの
このふたつが重なっている、ということを覚えておくと、神社で目にする由緒書きが読みやすくなります。
神功皇后の物語
応神天皇の母、神功皇后(じんぐうこうごう)の物語は、古事記の中でも印象的です。
戦の中で身ごもったまま海を渡り、戻ってから子を産んだ——という物語が、古事記と日本書紀の両方に記されています。日本書紀の方では、いくつかの異伝として別バージョンも並べられています。
歴史的な事実としてどこまでが本当かは、研究の中でも意見が分かれています。ここでは、長く語り継がれた物語として読むのが、たぶんいちばん素直です。
母である神功皇后と、子である応神天皇(=ハチマン)。八幡神社の中には、このふたりを一緒に祀っているところも多くあります。
物語から読める人柄
ハチマンを「人柄」で語るのは、稲荷と同じく少し難しい神様です。神話の主役として古事記の中で大きく描かれているわけではなく、長い時間をかけて信仰が育てた神様、という側面が強いからです。
それでも、信仰の中で繰り返し語られてきた姿には、いくつかの共通点があります。
- 戦の神様だが、好戦的ではない
- 国や地域を「守る」側に立つ神様
- 子供や家族を見守る、家庭に近い神様
刀を振るう神様、というよりは、境界に立って、内側を守るためにいる神様、と捉えると、八幡神社の落ち着いた雰囲気と感覚が合います。
他の神様との関係
ハチマンを祀る神社では、応神天皇のほかに、しばしば次の神様が一緒に祀られています。
- 神功皇后(母)
- 比売神(ひめがみ)— 神社によって、誰を指すかは少しずつ違います
宇佐神宮では、ハチマン・比売神・神功皇后の三柱が中心です。
今、ハチマンに会える場所
代表的な八幡神社をいくつか挙げます。
- 宇佐神宮(大分)— 八幡信仰の総本宮
- 石清水八幡宮(京都)
- 鶴岡八幡宮(鎌倉)— 源氏ゆかりの神社
- 筥崎宮(はこざきぐう)(福岡)
- 各地の八幡神社、若宮八幡宮
数が多いので、地元の名前に「八幡」がつく神社は、たぶん身近にあるはずです。地名にも「八幡(やはた/やわた/はちまん)」が残っているところがたくさんあります。
参拝のしかたは、ほかの神社と変わりません。神社の参り方を合わせて読んでもらえると、八幡神社のような落ち着いた境内での感覚が、もう少し近くなるかもしれません。
おわりに
ハチマンは、武の神様であると同時に、町の中で家族や子供を見守る神様でもあります。
ふたつの顔があるのではなく、「境界に立って内側を守る」というひとつの姿勢が、時代や場所によって違う形で表れているだけ——そう読むと、八幡神社の鳥居の前に立ったときの感覚が、少し変わってくるかもしれません。