富士山を仰ぐ場所には、たいてい浅間神社(せんげんじんじゃ)があります。
その浅間神社に祀られているのが、コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)です。
桜の花のように美しい、という名前の意味どおり、優雅な神様として語られます。ただ、古事記の中に残っている彼女の物語は、優雅さだけでは片づかない、強い意志の話です。
どんな神様か
コノハナサクヤヒメは、女神として古事記に描かれている神様です。
司るとされてきたものは、富士山、桜、山、安産、火を鎮める力。富士山の信仰そのものと、深く結びついています。
「桜のように美しい」というイメージは、たぶん名前だけが先に走ってしまうところがあります。実際の物語の中の彼女は、強い場面で強い選択をする神様です。
ニニギとの出会いと、疑い
コノハナサクヤヒメの物語は、ニニギ(アマテラスの孫で、地上に降りてきた神様)との出会いから始まります。
地上に降りたニニギは、笠沙の岬で、美しい娘に出会います。それがコノハナサクヤヒメでした。父親に申し込むと、父親は喜んで、姉のイワナガヒメと一緒に嫁がせます。
ところが、ニニギは姉のイワナガヒメを「醜い」と言って送り返してしまいます。父親は、姉妹を共に嫁がせたのは、「岩のように長く生きる力」と「花のように咲く美しさ」を、両方ともニニギの子孫に与えるためだったと告げます。
姉を送り返したことで、ニニギの子孫は、花のように咲いてもやがて散る命を持つようになった——古事記はそう語ります。人の寿命の由来の物語のひとつです。
そして、コノハナサクヤヒメはニニギとの一夜のあとに身ごもります。ニニギはそれを聞いて、こう言います。「一夜で身ごもるとは、本当に私の子なのか」。
コノハナサクヤヒメは、深く傷つきます。
燃える産屋
疑いをかけられたコノハナサクヤヒメは、こう告げます。
「もし本当にあなたの子であれば、何があっても無事に生まれるはずです」。
そして、産屋に入り、自ら火を放ちます。燃え盛る炎の中で出産し、三人の子を無事に産み落とす——というのが、古事記の物語です。
産まれた子の名前は、ホデリ・ホスセリ・ホオリ。火の中で生まれたことが、それぞれの名前に残されています。
優雅な桜の女神、というイメージから一気に像が変わる場面です。疑いをかけた相手に対して、彼女が選んだのは、嘆くことではなく、火の中に入って自分の正しさを示すことでした。
なお日本書紀では、この出産の場面の細部にいくつかの異伝が並べて記されています。火を放つ理由や、生まれる子の数・名前が少しずつ違って伝わっており、ひとつの「正しい話」というよりは、語り継がれてきた物語であることが見えてきます。
物語から読める人柄
コノハナサクヤヒメの人柄として、物語の中に残っているのは、次のような姿です。
- 美しさで知られる一方、強い意志を持っている
- 疑いをかけられても、嘆くのではなく、自分の力で示す側を選ぶ
- 火という危険な要素を、自分のために使える神様
- 母として、強さを持って子を産む
桜のように咲いて散る、という名前の優雅さと、火の中で出産する強さ——このふたつが、ひとりの神様の中に同居しています。
富士山という、美しさと噴火の力を同時に持つ山に祀られているのは、彼女の人柄を考えると、自然な選択にも見えてきます。
他の神様との関係
コノハナサクヤヒメに近い神様を挙げます。
- ニニギ(夫)— アマテラスの孫。地上に降りた神様
- オオヤマツミ(父)— 山の神。コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの父
- イワナガヒメ(姉)— ニニギに送り返された方の姉
- ホデリ・ホスセリ・ホオリ(子)— 火の中で生まれた三人の子
ニニギについては、別の記事で詳しく書いています。コノハナサクヤヒメと対で読むと、ふたりの物語がもう少し立体的に見えます。
今、コノハナサクヤヒメに会える場所
代表的な神社をいくつか挙げます。
- 富士山本宮浅間大社(静岡)— 富士山の表側に立つ、浅間信仰の中心
- 北口本宮冨士浅間神社(山梨)— 富士山の裏側からの登拝口
- 各地の浅間神社
「浅間(せんげん/あさま)」という名前のついた神社の多くが、コノハナサクヤヒメを祀っています。富士山だけでなく、各地の山の麓にも分布しています。
参拝のしかたは、ほかの神社と変わりません。神社でのふるまい全般については、神社の参り方を合わせて読めます。
おわりに
コノハナサクヤヒメは、桜のような美しさを持ちながら、火の中で出産する強さも持つ神様です。
富士山を見上げるとき、その山に祀られているのが、そういう神様だと知っていると、景色のうしろにある物語が少し近くなるかもしれません。